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東京高等裁判所 平成6年(行ケ)32号 判決 1994年8月30日

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

理由

1  請求の原因1、2は当事者間に争いがない。

2  まず、本願商標から生ずる称呼について検討する。

原告は、本願商標中の「健康科学」の部分は、付加的部分であり、原告会社の企業理念を示すキャッチフレーズであつて、「ヤクルト」の部分と常に不可分一体であり、このことは前記各部分の表現方法の相違、すなわち、外観からも明らかであるから、上記の「健康科学」の部分のみが独立して称呼されることはないと主張するところ、原告の上記主張は、本願商標の前記各構成部分は、観念及び外観において、不可分一体の関係にあるから、その称呼についても常に不可分一体のものにして、「ケンコーカガクヤクルト」の称呼のみが生ずるものである、との主張と解される。

(1) そこで、まず、本願商標の前記各構成部分の相互の関係を各構成部分の有する観念の点から検討する。成立に争いのない乙第三号証(一九九二年一一月一七日株式会社岩波書店発行、岩波書店辞典編集部編「逆引き広辞苑」)には、「自然科学」、「精神科学」、「人間科学」、「文化科学」等の用語が掲載されていることが認められ、そして、いずれも成立に争いのない同第四号証(一九九一年一一月一五日株式会社岩波書店発行、新村出編著「広辞苑」第四版)及び第五号証(一九八八年一一月三日株式会社三省堂発行、松村明編「大辞林」)によれば、「自然科学」とは、「自然に属する諸対象を取り扱い、その法則性を明らかにする学問」、「自然現象を対象として取り扱い、そのうちに見いだされる普遍的な法則性を探究する学問」、「精神科学」とは、「一般歴史学・言語・宗教・芸術・社会などに関する科学」、「人間精神の所産(心理・倫理・言語・法・経済・歴史など)を扱う人文社会科学の総称」、「人間科学」とは、「広い意味で人間的事象を取り扱う科学の総称」、「広く人間にかかわる諸事象を研究する学問の総称。言語学・精神医学・人類学などの急速な発展に伴つて用いられるようになつた語」、「文化科学」とは、「事物の歴史的一回性と個別性を記述する科学」、「個性的なものに価値を認めて文化を研究対象とする科学」等の各意味を有する確立した用語であると認めることができる。

ところで、「健康科学」の用語が現在、生成中の造語であり(このことは、前掲乙第三号証にこの用語が掲載されていないことからも窺うことができる。)、この用語が「科学」の語を含む前記のような各用語からの示唆を受けて造語されたものであることは容易に推認できるところである。そして、前記認定の各用語の確立した意義において、「科学」と結合した「自然」、「精神」、「文化」等が科学的研究の対象領域を指示していることからすると、「健康科学」の語義についても、「人間の健康に関する事象を広く研究の対象とした学問」との意味をその中核的な語義として有する名詞であると解し得ることは、「健康」及び「科学」の語がごく日常的に使用される平易な単語であることからみて、容易に理解可能なものであるといつて差し支えがないというべきである。そうすると、本願商標中の「健康科学」を「健康に関する科学」との語義を有するものとした審決の認定は相当であり、上記のような語義を有する「健康科学」を商標として使用した場合、この語が商標法三条一項各号に該当するものではないことは明らかであるから(なお、同項三号該当性については後述するとおりである。)、上記構成部分自体が独立して商品の自他識別機能を有することを否定することはできないものというべきである。

他方、本願商標中の「ヤクルト」の部分についてみると、「ヤクルト」の文字が、原告の商号の略称であり、その取扱商品の全般にわたつて使用されている代表的出所標識(ハウスマーク)として、世間一般に知られているものである事実は当事者間に争いがない。

以上に説示したところによれば、著名な出所標識である「ヤクルト」と独立して商品の自他識別機能を有する「健康科学」の各文字からなる本願望商標に接した需要者ないしは取引者は、前者によつて、当該商品の出所が原告であることを、また、後者によつて個々の商品の識別を行うであろうことは容易に推認可能であつて、本件全証拠を検討してもこの推認を左右するに足りる証拠はない。そうすると、本願商標を個々の商品に付するなどして使用した場合、出所標識としての「ヤクルト」の部分と個々の商品識別機能を有する「健康科学」の部分が、観念上、常に不可分一体の関係にあるものといえないことは明らかというべきである。

原告は、この点について、本願商標中の「健康科学」の部分は、原告会社の企業姿勢を示すキャッチフレーズ、すなわち付記的な部分に止まると主張する。そして、成立に争いのない甲第五号証によれば、原告が「人々の健康に貢献すること」を企業理念とし、創業以来、微生物の科学的な研究を中心として各種の商品開発を行つてきた事実を認めることができる。そして、「健康科学」なる語が前記のとおり生成中の語であり、その語義ないしは使用法が前記認定のものとして確立したものとまではいえない状況を考慮すると、「健康科学」の用語に、「健康を科学する」等の語義ないし使用法が存在し得ることをあながち否定できず、そうだとすれば、本願商標中の「健康科学」の部分は、前記認定のような企業理念を有する原告の企業姿勢を端的に表すための修飾語と理解することもできないではなく、このような観点からすると、両者は不可分一体の関係にあるものと理解すべきであるとする原告主張も肯認し得ないではない。

しかしながら、「健康科学」の中核的な語義ないし使用法は前記認定のとおりであるから、原告主張のような語義ないし使用法があり得るからといつて、このことによつて、前記のような「健康を関する科学」との語義ないし使用法が否定されるものではなく、したがつて、上記部分の自他商品識別力を否定する根拠とするには不十分といわざるを得ない。また、原告は、近時、企業姿勢を示すための付加的な表示が一般化していると主張するところ、確かに成立に争いのない甲第七号証によれば、いずれも企業の出所標識として著名であることが当裁判所に顕著なものにおいて、各種の文言が付加的に用いられている事実を認めることができるが、これらの事実があるからといつて、それ自体で自他商品識別力を有する本願商標中の「健康科学」についての前記判断を左右することはできない。

以上によれば、本願商標の「健康科学」の部分は、それ自体独立して自他商品識別力を有するものであり、これが「ヤクルト」の部分と、観念上、常に不可分一体の関係にあるものと断定することはできないから、「健康科学」の部分が常に「ヤクルト」の付加的部分ないしキャッチフレーズとする原告の前記主張は採用できない。

次に、原告は、本願商標の「健康科学」の部分は、広義の品質表示語であると主張するので、この点を検討する。「健康科学」の語を本件指定商品である乳製品等に使用した場合、近時の健康への関心の高まりを背景にした健康食品ブーム(この事実は当事者間に争いがない。)等の状況に照らすと、「健康科学」の部分が「健康(体)に良い」などの語感を生ぜしめる点において品質表示的な機能を営むことも予想されないではない。しかしながら、「人間の健康に関する事象を広く研究の対象とした学問」との「健康科学」の前記の中核的な語義からは品質表示的な機能は薄弱であり、本件全証拠を検討しても、「健康科学」が品質表示語として定着して使用されている事実を認めるに足りる証拠はない。したがつて、「健康科学」の語は商標法三条一項三号にいう「品質」表示に該当するものでなく、この点に関する原告主張も採用できない。

(2) 進んで、本願商標の前記各構成部分の相互の関係を各構成部分の有する外観の点から検討する。本願商標の構成が、審決摘示のとおりであることは当事者間に争いがなく、この争いのない構成によれば、本願商標は、黒く塗り潰された右上がり斜めに配された四個の楕円形の中に、比較的太い白抜きのゴシック体で「ヤクルト」と表し、この「ヤクルト」の各文字の上に比較的細い(その太さは前者の約五分の一程度である。)ゴシック体で表した「健康科学」の各文字を対応させた上下二段の構成から成るものである。この構成によれば、本願商標の「ヤクルト」の部分と「健康科学」の部分は表現方法を大きく異にし、後者に比べ前者が顕著に目立つことは明らかであり、この意味において、外観のみでみる限り、本願商標においては、前者が主体であり、後者は前者に対し付随的であるとする原告の指摘は一応根拠を有するものであるということができる。

しかしながら、前述のように、両者は外観上、その構成が明確に識別可能であることに加えて、前項に述べたように、本願商標に接した需要者ないし取引者にとつて、「ヤクルト」は原告を表す代表的な出所標識であり、「健康科学」は前記認定のような意味を有する名詞であることがいずれも一見して直ちに理解可能なものであることに照らすと、以上のような外観上の相違から、直ちに、後者は前者の付加的な修飾語であり、両者は外観上、常に不可分一体であるとまで断定することは困難というべきである。

(3) そうすると、本願商標中の「ヤクルト」と「健康科学」の各部分は、観念及び外観において、常に不可分一体の関係にあるとまで断定することは困難であり、両者がそれぞれ独立して前述した各機能を有することを否定できない以上、簡易迅速を尊ぶ取引の実際においては、本願商標から、そのうちの代表的な出所標識である「ヤクルト」の部分が省略され、「ヤクルト」とは独立した個々の商品の識別標識である「健康科学」の部分に応じて、「ケンコーカガク」の称呼が生ずることを否定することはできないというべきである。

したがつて、本願商標から「ケンコーカガク」の称呼が生ずるとした審決の認定判断に誤りはない。

3  次に、引用商標から生ずる称呼について検討する。

引用商標が「株式会社健康科学」であることは当事者間に争いがなく、「株式会社」が法人の組織形態を表す用語であり、「株式会社」の組織形態を採る法人はその商号中に必ず「株式会社」の用語を使用することが法的に義務づけられているものであることは商法一七条に照らして明らかである。このような事情を受けて、「株式会社」をその構成中に含むいわゆる商号商標の場合、法人の組織形態を表すにすぎない「株式会社」の部分の自他商品識別機能は弱く、簡易迅速を尊ぶ取引の実際においては、特段の事情がない限り、「株式会社」の部分が省略されて称呼されることがごく普通にみられるところである。これを引用商標についてみても、法人の組織形態を表すにすぎない「株式会社」の部分が省略されて「ケンコーカガク」と称呼されることは上記部分の自他商品識別力に照らして極めて容易に推認することが可能であり、本件全証拠を検討しても、常に「株式会社」と「健康科学」が一体として称呼されることを認めるに足りる特段の事情は認められない。

この点について、原告は、引用商標は「健康科学」の部分に自他商品識別力はないとの前提に立ち、「株式会社健康科学」が一体となつて始めて上記機能が認められて登録が許容されたものである以上、引用商標からは「カブシキカシャケンコーカガク」の称呼が生じ、単なる「ケンコーカガク」の称呼は生じないと主張する。

しかしながら、原告の上記主張は「健康科学」の部分に自他商品識別力がないとする前提において既に誤つていることは、前項に説示したとおりであるから、上記主張は採用の限りではない。

4  以上の次第であるから、両商標から、共に「ケンコーカガク」の称呼が生ずることは明らかであつて、両商標は、称呼上類似するとした審決の判断に、原告主張の違法はない。

5  よつて、本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 竹田 稔 裁判官 関野杜滋子 裁判官 田中信義)

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